砂手紙のなりゆきブログ

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スコット・ジョプリン「パイナップル・ラグ」と自主制作映画「学校の出口」と夏休みの歌

 今書いている小説の中で、映像音響部というクラブが映画『工場の出口』(1895年)と同じような場面を、夏休みのはじまり、一学期の終業式のあとに学校の校門を出て来る生徒たちで撮影するエピソードを書こうと思いました。
 オリジナルは無声映画なんですが、実にスコット・ジョプリン「パイナップル・ラグ」が合うので、またこの曲に歌詞を作ってみます。

 さぁさはじまる夏だよ 夏休みだよ(バン うん バン)

 さぁさはじまる夏休みだ ぼくらの夏だよ(バンバンバン)
 海 山 川へ行こうよ 夏休みだ

 はい、もうこれからあなたはこの曲は「さぁさはじまる夏休みだ」にしか聞こえなくなる!
 この曲はだいたいメトロノームだと72~76BPMぐらいがいいのかな。でも機械じゃないんだからそんなにきちんと拍子を揃える必要はないのです。けっこうスコット・ジョプリン(だと思うけど自信ない)は遅いんだけど、映画のBGMとしてはこのくらいでもいいかと思う。

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 小説の中にこのエピソードを出すために調べなければいけないことは、「1分間でだいたいどのくらいのエキストラ(生徒)が必要になるのか」ってことで、消防庁の避難口の設置基準とか、歩く速度とか、ネットでいろいろ調べられて楽しい。1時間テキストを書いて2時間調べるとか、そんな感じ。
 さて、この自主制作映画を撮るにあたって、映像音響部のメンバーはスピーチをします。
「この映画を1ミリでも質の高い映画にするために、何十年、何百年単位で語り継がれる映画にするために、皆様の力をお貸しください!」
 …これはそのまま使ったら、映画『シン・ゴジラ』(2016年)のボランティア・スタッフへの覚え書きと同じになっちゃうんで、少し変えます。
 実際、『工場の出口』の動く人たちの映像は百年以上残ってるわけでして。

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映画『三つ数えろ』の謎

 ハワード・ホークス監督がレイモンド・チャンドラーの小説『大いなる眠り』(1939年)を映画化した『三つ数えろ』(1946年)は、何度見ても話の筋がわからない、ハンフリー・ボガートが何言ってるかさっぱりわからないんだけど、とりあえず見ておかなければいけない映画ということになっています(後者の問題は、日本人なら日本語字幕で適当にわかったつもりになれます)。
 殺人事件の犯人が誰なのか、については、監督にも作者にもわからなかったようです。
 ハワード・ホークス監督は、プロットにはあまり意味はない、という発言をしています。
 また監督はチャンドラーに電報で「ピートを殺したのは誰だ」って聞いたら「ジョーだよ」って回答をもらったらしいんだけど、「ジョーは沖にいるんだからできるはずがない」ってやり返したらしいです。
 犯人(真犯人)なんてどうでもいい、ってところがヌーベルバーグの人たちに気に入られたんだろうな。
 なお、『マルタの鷹』を映画化したのは何人もいますが、一番有名な人はジョン・ヒューストン(1941年)。ホークスが『マルタの鷹』作ってたらそれはそれで名前的に面白いんですけどね。
 ジョン・フォード監督が役者としてよく使ってたのはジョン・ウェインで、ハワード・ヒューズハワード・ホークスに金を出して作らせたのが『暗黒街の顔役』(1932年)で、ハワード・ヒューズの伝記的映画は『インビクタス』じゃなくて『アビエイター』(2004年)で、マーチン・スコセッシ監督。
 でもってもう、あの蒸気機関車が出てきた映画で、映画史上に残る失敗した大作の作品名と監督誰だっけ、って検索してもそれだけでは出てこない。なんかジョン・ミリアスじゃないよなあ、そうだ、トミノみたいな名前で、マイケル・チミノ監督、『天国の門』(1980年)だった。
 あのころの映画って、やたら長い映画多かった印象なんだよね。実際にはそんなことないんだけど。

最近更新をサボっているこのブログの1日のview数が、毎日書いて7万5千字にもなった小説のトータルのview数よりも多いのが納得いかない

 小説のview数が少ないのはまあ、そんなものかな、って思う。
 これがもう、誰にも読まれなくても小説書くの楽しいんだよね、今のところ。
 ぼくのブログも、はじめて半年ぐらい1日10viewって日々だったんで、要するにもう少しマメにブログ書かなくちゃ、ってことです。
 現在執筆中の小説の元ネタは、フィリップ・K・ディックにはふたごの妹がいた、ってことと、フィリップ・K・ディックアーシュラ・K・ル=グウィンは同じ高校に通っていた、ってことと、落語「五人廻し」です。

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シネシャモ日記っていうブログ、映画が好きな人にはおすすめ

 ぼくのブログは、はてなブログ以外は原則としてリンク張らないことにしてるんですが、普通に「シネシャモ日記」で検索するとたどり着けます。

『DVDと洋書で映画を楽しむブログ。シネシャモはシネマとシシャモの造語なり。居酒屋で仲間とシシャモを食べているときに思いついたのです。映画を鑑賞する際の豊かな心の働きに興味があります。』

とのことです(ブログ紹介の冒頭部分から)。

 2016年9月現在は「心理西部劇」というのと、「1983年×月に鑑賞した映画」というのをブログ記事で連載しています。

フシギというか、ファンタジー要素のないアニメを最初に見たのは『true tears』(2008年)かなあ

 あの時も今も、なんであの話をアニメでやる必要があったのかわからない。心の中の名作のひとつですが。
 同じ年に放映された『とらドラ!』はまあ、こんな子はいそうにない、という部分でちょっとファンタジーが入ってる。
 最近は現代学園ものでも、変な子設定の話がけっこうあるので、そこらへんの「これは別に実写でもいいのでは」判定をどうやってしているのか、自分でもわからない。少なくとも、うまく説明できない。
花とアリス殺人事件』(2015年)でも見てちょっと考えてみよう。

ごぼうは手で折れるのか折れないのか

 物語の中で、きんぴらごぼう用のごぼうを買う登場人物が出てきて、それが折れるかどうか、で、この世界がどんなものかを確認する場面を書いていて、疑問を感じたのでリアルのごぼうを買ってきました。
 結論から言うと、折れます。
 物語の中の世界では、折れない。
 ただこれは、今の季節の、今ぼくが住んでいる地域だから折れるのかわからない。他の季節、他の地域のごぼうだったらどうなんだろう。ネットで検索してもわからない。
 物語の中の、ちょっとばれにくい、もしくはばれても問題はない嘘だから、そこらへんはもういいか。別にごぼうが凶器になったり、ごぼうで殺し合い(路上バトル)する話じゃないんで。
 でも、そういうのが気になりはじめると、気になって仕方がないのです。
 そう言えば、タマネギって冷蔵庫で十分冷えた状態で切ればあまり涙出ないんで、登場人物に「これは悲しいんじゃなくて、タマネギを切っていたからだ」と言わせるのはやめようかと思った。
 こういう細部はもう、読者のほうは読み飛ばしてしまうかな。

8月は毎日小説(物語)を書きました

 毎日1500字目標でダラダラ書いて、4万5千字ぐらいになったかな。
 夜の9時からダラダラ、ネットのあちこちを見ながら2~3時間ぐらいかけて書くのです。
 今の調子だと、10月いっぱいまでかけて、15万字ぐらいで終わるといいなあ、ぐらいの感じ。
 その関係で、こちらのブログのほうはしょっちゅう休んだりしているのです。

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