砂手紙のなりゆきブログ

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女性語(涼宮ハルヒの憂鬱)

 例によってダラダラと和田誠『お楽しみはこれからだ』という映画のセリフについて書いた本を読んでます。
 7冊まで出てて、最後が1997年4月刊行なんで、21世紀の映画なんてかけらも出てこない。『バック・トゥ・ザ・フューチャー』とかが新作公開映画として紹介されてる、そんな本なので知らない映画の話ばかりです。
 このシリーズ、もうビデオの時代なんで、続ける必要ないんじゃないかな、と著者が感じて終わったネタなんだけど、映画の中の名セリフなんてそれ以降も、時代を越えても残ってるんで誰かが続けても特に問題ないですよね。
 俺がやろうかな。アニメの中の名セリフなら、ネタが尽きそうにない。「もし、私たちが出てくるドラマがあったとしたら、悪役はあたしなのかもしれない」(花咲くいろは)とかね。思いついたのでメモしておこう。
 しかし『お楽しみはこれからだ』でちょっと、というよりかなり引っかかるのは、字幕の中の女性語ですね。「だわ」「なのね」とかいう、例の奴。最初が「セリフなんか要らないわ。私たちには顔があったのよ」(サンセット大通り)だからたまげるよね。
 今はもう、ビデオの時代どころかインターネットの時代なんで、題名(原題)+scriptで検索すると、名作と言われているものは台本が見つかる。その中では、そこの部分はこうなってます。

Still wonderful, isn't it?  And no dialogue.  We didn't need dialogue.  We had faces.  There just aren't any faces like that any more.  Well, maybe one --Garbo.

 この映画のヒロイン役、最初のオファーがグレタ・ガルボだった、ということを知るとなかなか味があるセリフですが、まぁ最近の女性キャラはそんな女性語使わない。昔も使ってなかった(少なくとも英語では)んだけれど、昔の映画のセリフを今の言葉みたいに訳すのはそれもまたどうなんだろうなぁ。

 そういうこと考えるとややこしくなるのですが、数十年前の女性は、本当にそんな「だわ」とか「なのよ」なんて言ってたんだろうか。
 キャラ立ての一つとして、丁寧語とか女性語でしゃべるキャラクターは、アニメの中ではいくらでもいるんですが、『涼宮ハルヒの憂鬱』の涼宮ハルヒは違和感あったし、今でもある。鶴屋さんみたいに話してくれないかな、とか時々思う。
 でも本当はこの話、関西弁(大阪弁とはまた少し違う、西宮方面の方言)なんだよな。関西方面の人はあのアニメどう見てるんだろうな。だいたい『けいおん!』だって、なんか変なところにあるみたいだけど、個別の場所は京都だし。ちゃんと方言を話させるほうが難しい(それっぽく話させる)けど、NHKの大河ドラマはやってますね。