砂手紙のなりゆきブログ

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映画『待ち伏せ』とあさま山荘事件

 稲垣浩監督の最後の作品『待ち伏せ』(1970年)は三船ブロダクションによる制作、1970年3月に公開された東宝映画で、同じ年の1月に公開された岡本喜八監督の『座頭市と用心棒』(勝プロダクション制作)と同じく、三船敏郎勝新太郎が共演する娯楽時代劇です。
 三船敏郎は用心棒の役とスタイルですが、勝新太郎はあやしい医者で爆弾とか作ったりするテロリストの仲間です。
 あまり話の内容細かく書くとネタバレになりますが、水野忠邦の時代の三州峠(モデルは信州峠と思われます)にある、貧しい茶店兼宿屋を舞台に、そこの店の老主人と娘が人質になるような展開します。
 この時代、1970年代はじめというのはどうも1960年代後半の、ちょっと一発何かをキメてるとしか思えない喧騒と騒乱の時代から一段落して、えーと、なんていうんでしたっけね、シラケの世代?
 クールでニヒルで大藪春彦的な、ていうか木枯し紋次郎的なキャラの時代でしょうか。
 映画的に見てて面白いのは藤田敏八ぐらいしかとっさには出てこない(修羅雪姫の監督)。
 角川映画が出てくるまでは日本映画瀕死の状態で(世界的にも劇場映画はそうだったみたいです)、見ているこちらも気分的には中途半端な気分になります。1960年代は高度成長の別世界的映画(まるで中国みたい)だし、1980年代の、特に後半のほうは今とあまり変わりがないように見えます。パソコンと携帯電話がそんなにない、ってだけの感じで。
 で、映画『待ち伏せ』は、話の内容とあまり関係なく三船・勝の剣さばきが見られます。もうこの二人の剣技のすごいのなんの。
 いい忘れましたが、石原裕次郎もちょっと半端なやくざ者として出てくるんですけど、この人はそういう技術ないみたいなんで、ただうろちょろするだけでした。
 映画公開の2年後、実際にテロリスト(連合赤軍)が山荘の人間を人質にとって戦う「あさま山荘事件」がありました。そう言えば札幌オリンピックも同じ年(1972年)にあったんだっけ。
 札幌オリンピックは1972年2月3日から2月13日、あさま山荘事件は1972年2月19日から2月28日ですか。