砂手紙のなりゆきブログ

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話を盛る(ドラえもん)

 中野好夫という英文学者がいます。そちらの方面では有名な先生で、東大の教授もやったんですが、「大学の先生では食っていけない」ということで、退職してフリーになりました。これに関しては丸谷才一の「開高健から聞いた話」として有名な伝聞情報があります。以下『好きな背広』(丸谷才一)から抜粋して引用。
 中野先生が小説誌に書いた随筆の、南米旅行で仕入れたという艶笑小咄を読んで奥さんが激怒。その内容は、
朝鮮戦争が勃発したとき、アルゼンチン政府は国際連合から軍隊の派遣を求められた。政府も困って各国の大使館の意見も聞いてみたんだけれど、駐仏大使館の電報「コホーネス」(スペイン語で睾丸の意)というのがどうにもこうにも意味不明だった。外務大臣が老首相に聞いてみると、「こんな簡単なこともわからないのか。これは『協力すれども介入せず』ってことだ」』
 で、奥さんは、
「この話はなんです。こういう原稿を書くのをおやめになるか、東大教授をおやめになるか、二つに一つです」
 しょうがないので、中野先生は大学をやめた、というのが開高健の話なんだけど、これを聞いた中野好夫さんはこう答えた。
「そりゃあそういう話も随筆に書いたけど、南米に行ったのは大学を辞めてしばらく経ったあとのことだ。本当、お前らつまらん話を書く商売だな」
 もっとひどいのはマキノ雅弘『映画渡世』に出てくるエピソード。
 マキノ雅弘さん、日本映画監督協会の集まりで「撮影所ではマキノさんと稲垣浩さんばかりにいい作品を撮らせている」と言った久見田喬二監督をボコ殴りする。それから1年後、同じ集まりでマキノさん、「それが元で久見田さんまもなく亡くなりまして…」と話しはじめるんだけど、その場で弱弱しい声だけど「マキノはん、わし、まだ生きてますがな」と当人が抗議。
 だいたい生きている人の話を盛るのは、絶対当人から抗議が来るので、いくら面白い実話でも、あるいはまるっきりの創作でも、しないほうがいいということですね。亡くなったら当人から苦情が来ることがないので言いたい放題(例:手塚治虫。今ネタを溜めているのは宮崎駿の関係者)。
 しかし世の中には、生きているうちに話を盛る人がいる、アレオレ詐欺な人がいるので油断できない。
 ぼくが知っている2番目にすごい人は「ドラミちゃんの色は俺が作った(藤子・F・不二雄先生に「適当に塗っておいて」と言われたので塗った)」という人。
 1番すごい人は「蛍光カラーのピンクは、俺が大日本印刷に作らせた」です。