怒ってる人が怒ってるところは、怒ってる人ではなく怒られてる人を映す
どうもアメリカの、ハリウッド系の映画を見ていると、アクションしている人を映しすぎのような気になるのです。
特に最近の映画。
話してる人(アクションしている人)ばかり映してる。
舞台劇のように映画を撮っていた時代のハリウッドは、セットはいかにもセットなんだけど、役者がちゃんとリアクションしてるのを映してて、そこらへんが楽しいんですけどね。
なんでそんなになっちゃったかというと、エイゼンシュタインが悪いんじゃないかって気が最近してきた。
映画に演説する人を出した監督です。
ここらへんを話すと長くなるんで、また別のときにでも。
日本の映画の、クサい音楽とクサい演技を見るのもまたつらいものですが。
なんかこう、思い出の昔の写真を見ながら回想して涙拭くとかね。でもって、クサい音楽が流れる。
クサい音楽とチャラい音楽の微妙な差は、佐藤勝の映画音楽を聞いてみるといい。
香りと手触りでできた歌(スカボロー・フェア)
サイモンとガーファンクルの歌で(多分)知られている「スカボロー・フェア」は、イギリスの古歌、というかフォークソングということになっています。
訳詩その他はウィキペディアに出ていますが、そもそも最初の一行がわからない。
わかることはわかるんですが、「パセリ、セージ、ローズマリーにタイム」って。
なにか、小説みたいなものを書いている人に聞いてみたいんですが、この4種の薬草(ハーブ)の香りを、テキストで表現してみようかと思ったことなんかありますかね。
パセリ…さわやかな香りと口に入れたときの苦味(セリ科)
セージ…強い香りで肉の臭みを消すためソーセージを使った料理に使われる。ソーセージの語源(シソ科アキギリ属)
ローズマリー…マツに似た香り(シソ科)
タイム…昔のミイラみたいな香り(シソ科イブキジャコウソウ属)
要するに、ほとんどテキストとしては書き分けられない。
それぞれの植物が持っている意味にしか意味がないんですね。
つまり、パセリは「勝利・死の前兆」、セージは「幸福な家庭」、ローズマリーは「貞節」、タイムは「勇気」。
さて、それでは、その歌詞の中に出てくる「カンブリックのシャツを作れと伝えてくれ(Tell her to make me a cambric shirt)」の「カンブリック」って何でしょう。
こんなものは、実物を手で触ってみないとわからないなあ。今は合成繊維の時代なので、合成繊維が想定されていない世界(ファンタジー的異世界)では適当に、「白くて軽量の、表面に光沢がある、手触りのいい素材でできた服」とかするしかない。麻とか亜麻とか綿が想定されているファンタジー的異世界ではそれも可能です。
亜麻(リンネル)でできた製品、フランス語であるラーンジュはランジェリーの語源なので、亜麻とフランス語のあるファンタジー的異世界ではランジェリーもある。
カンブリックは別名シャンブレー(英語: chambray)で、多分C・L・ムーアのスペースオペラ短編「シャンブロウ」はこれに由来している。
そんなのは女性作家と女性翻訳者と服にくわしい人間にしかわからないはず。
ライトノベルとかミステリーとか読んで気づいたことは、どうもぼくは女性の書いた小説は苦手らしいということ
どうもどれもこれも、ことごとくつまらない。
という言いかたは失礼すぎですが、女性作家が書いてうまく書ける部分と、ぼくが面白いと思う部分がズレてるんですね。
だからもう、これは自分がつまらないと思う作家の話ではなくて、面白いと思う作家の話をするしかない。
なんか、3行で書ける描写を5行ぐらい使って書いてて、そこの部分に納得いかない作家が、ぼくの場合は女性作家に多い、みたいな感じです。
あと、頭の悪い登場人物は女性作家のほうがうまく書けるよね。あ、これでは褒め言葉に聞こえる気がしてしまうただの京ことばだ。男性作家がうまく書けるのはバカな登場人物。
東西ミステリーベスト100なんかでも、女性作家少ないしなあ。
とりあえずまあ、宮部みゆきとアガサ・クリスティはそんなに嫌いじゃない。どちらかというと好きなほう。
なんか最近読んでいるライトノベルで学生ライトノベル作家が主人公の話が多いな、と思ったら時雨沢恵一がもう言っていた
立て続けにそういうのばかり読んでしまったので、いろいろ考える。
ぼく自身が当たってる確率は、異世界転生ものより多いぐらい。
時雨沢恵一は、『男子高校生で売れっ子ライトノベル作家をしているけれど、年下のクラスメイトで声優の女の子に首を絞められている・1』(2014年1月、電撃文庫)のあとがきで、このようなことを書いています。
『では、なぜゆえに突発的に書き始めたかというと----、
ライトノベル作家が主人公のライトノベルが、これからドンドン増える予感がしたからです! そして、具体例は上げませんが、実際に増えています。ブームです。
今後は「学園異能力もの」とか「魔王もの」とか「妹もの」のように、一つのジャンルとして確立してしまいそうな勢いです。
三年前に思いついていたのに、後からビッグウェーブに乗ったと思われるのはちょっと切ない! 出すなら今だ! 今しかない!』
ジャンル的には、正確には「学生(中高生)ライトノベル作家もの」ですかね。
『指物師名人長二』とモーパッサンと三遊亭円朝(橋本雅邦)
三遊亭円朝の作による『指物師名人長二』は、名人の犯罪創作実話みたいなところの原作がモーパッサンの短編「親殺しの話」に由来していて、これは現在では『三遊亭円朝探偵小説選』(論創社、2009年)で比較的簡単に読めることになっています。まあもっと簡単に読もうと思えば国会図書館デジタルコレクションがあります。
で、この話を古今亭志ん生が2時間半ぐらいやったのがありまして、名人のひとりとして「橋本雅邦」とその絵である龍虎図について語っています。
『大変なもので、嵐でございましてな、こう、竹が縦横になっていて、びやーっというひどい嵐の中に、龍と虎がこう向かい合っている。そしてこの、雄龍がいて脇に雌龍がいる。こっちには虎がいて、虎の女房が「お前さんしっかりおやりよ」なんてことを言っている。だから虎のほうなんざ「なんだこの龍なんざ、蛇のでかくなったもんだ。ええ、こっちは虎だぞ本当に」ってんで、爪を立てて飛びつこうとするところを、龍のほうがぱーっってんで口を開いてるから、虎がひょいっと後びしゃりをしている、この腰の驚いて後に下がるなんてところの、筆の具合なんてのが、本当にもう、屏風を見ていると思えないくらいですな。龍のほうじゃ龍のかみさんがこうやって、「おれの亭主は強いだろ」ってなこと言って、実にいいもんでございますな』
この龍虎図も、簡単にネットで見つかるから探してみるといいのです。
悪いキャラクターの設定って、非人間的なものでないと難しい
悪いキャラクターに説得力を持たせすぎると(人間に近づけすぎると)どうもうまくいかないんだよなあ。
なんとなく、ファンタジー(異世界)の主人公キャラクターって、別に高倉健みたいなのでいいんだよな。
敵対するヤクザの親分がなぜ悪いかというと、高倉健が義理のある親分と敵対してるから、ぐらいの感じ。
モンスター相手に戦闘してレベルアップという話はともかく、天下統一の話はなかなかうまくできないです。
主人公を戦災孤児みたいな感じにすればいいんだろうなあ。
ということで、せっせとライトノベルを読んでいるので、なかなか日記のほうが(自分の小説のほうも)書けない。
結局悪役というか、悪とされるものがどうもぼくにはうまく書けない気がする。
Vシネマとか実録映画見てもう少しそこらへん研究しよう。
9月からはじめる新連載(今のはとりあえず続ける)は、なんとなくちゃんとした異世界ものにしてみたいのです。英雄コナンとかエルリックとか、昔のヒロイック・ファンタジーってけっこう好きなんですよね。