砂手紙のなりゆきブログ

KindleDPで本を出しました。Kindleが読めるデバイスで「砂手紙」を検索してください。過去テキストの一覧はこちら→http://d.hatena.ne.jp/sandletter/20120201/p1

東京オリンピック・マーチと夏休みマーチ

 1964年の東京オリンピックのときに作られた「オリンピック・マーチ」に歌詞をつけます。
 高校生の夏休みの歌です。

きーた きーた 夏休みだよ
ぼくらの夏休みだよ

海に行って (さあ)花火やって (さあ)スイカ食べて
山に行って (さあ)花火やって (さあ)ゴミ拾う

さあ いつでもどこでも夏休み
でも いつかは終わるよ夏休み

ああ 夏期講習 補習授業
先生は休めない 夏休みでも

 なお、社会人の夏休みはまとめて一週間も取れればマシなほう。
 小説書いてる時間より、こういうくだらない歌詞を考えてる時間のほうが長い。
 そんなにスラスラとはできないのです。

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左利きによるロバート・デ・ニーロの例の奴の有名な物真似

 映画『タクシー・ドライバー』(1976年)で、ロバート・デ・ニーロは鏡に向かって以下のように言って、カシャカシャッと腕に仕込んだ拳銃を出します。(以下、英語版ウィキペディアより引用)

 

You talkin' to me? You talkin' to me? You talkin' to me? Then who the hell else are you talkin' to? You talkin' to me? Well I'm the only one here. Who the fuck do you think you're talking to?

 この「ユー・トーキン・トゥ・ミー?」というところは、左手で自分を指差し、そのあと右手に仕込んだ拳銃、なんですが、この場面は鏡に写った像なので、「右手で自分→左手で拳銃」という風に見えます。デ・ニーロの特徴的なホクロが顔の左側にあるので、すぐにわかりますよね。
 つまり、映画のこの場面を正確に物真似するためには、左手に拳銃、という風にしないといけない。
 この映画の中での拳銃は、基本的に右手持ちで練習していますが(多分装填が左手だと面倒くさいとか、そんな理由)、娼婦の館の前にいるボスを撃ち殺すときには、デ・ニーロは左手を使います。それから、中にいる人に左側面を撃たれて、あとは右手を使い、最後には血まみれの自分の左手で「バーン」と頭を撃つ真似をします。
 ロバート・デ・ニーロ自身は左利きで、このあとの映画『レイジング・ブル』(1980年)では左利きのボクサー(だったかなあ、どうも記憶があいまい。とにかく左パンチがすごいボクサー)を演じます。
 細かく見ていくと、コーヒーカップの置き方とか、タバコの持ち方とか、いろいろな映画のいろいろなところで、デ・ニーロは左利きっぽい演技をします。

鮎川哲也『黒いトランク』の謎

(以下ネタバラあるので注意)
 本格ミステリとして読んでおかなければならない名作ということになっている鮎川哲也『黒いトランク』を読みました。
 あれは、トランクの入れ替えトリックとアリバイトリックをかっちりやってて、鉄道好きの人でも満足できる時刻表ミステリーです。鉄道と船が主な移動手段の時代の話(1949年末から1950年はじめ)なので、今はもうこのトリックは使えない。小河内ももうダムになっちゃったし。
 トランクの入れ替えトリックは、大きい黒いトランクの中に少し小さい黒いトランクを入れておく、という、天藤真大誘拐』でも似たようなアイデアが使われたトリックです。
 というのは大嘘です。でも読んだら「へえ」と感心する。感心はするんだけど「ええっ!?」と驚くようなレベルではない。
 あと、犯行の動機がすげえおかしい。これは『虚無への供物』と同じ。疑似社会派。
 納得いかないのは、犯人が若松駅から二島駅を通って福間駅に行くトラックの件なんですよね。
 この話、うまいことうまい時間に、犯人を運んでくれるトラックが通りかかって、うまく列車に乗れないと成立しない話なんだけど、あの時代のことはさっぱりわからないんで、そこんところどうなの? とか思う。
 あとこれ、真犯人は由美子さんだよね? 犯人とされている人の遺言はどうも嘘っぽすぎるんだよなあ。

スコット・ジョプリン「パイナップル・ラグ」と自主制作映画「学校の出口」と夏休みの歌

 今書いている小説の中で、映像音響部というクラブが映画『工場の出口』(1895年)と同じような場面を、夏休みのはじまり、一学期の終業式のあとに学校の校門を出て来る生徒たちで撮影するエピソードを書こうと思いました。
 オリジナルは無声映画なんですが、実にスコット・ジョプリン「パイナップル・ラグ」が合うので、またこの曲に歌詞を作ってみます。

 さぁさはじまる夏だよ 夏休みだよ(バン うん バン)

 さぁさはじまる夏休みだ ぼくらの夏だよ(バンバンバン)
 海 山 川へ行こうよ 夏休みだ

 はい、もうこれからあなたはこの曲は「さぁさはじまる夏休みだ」にしか聞こえなくなる!
 この曲はだいたいメトロノームだと72~76BPMぐらいがいいのかな。でも機械じゃないんだからそんなにきちんと拍子を揃える必要はないのです。けっこうスコット・ジョプリン(だと思うけど自信ない)は遅いんだけど、映画のBGMとしてはこのくらいでもいいかと思う。

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 小説の中にこのエピソードを出すために調べなければいけないことは、「1分間でだいたいどのくらいのエキストラ(生徒)が必要になるのか」ってことで、消防庁の避難口の設置基準とか、歩く速度とか、ネットでいろいろ調べられて楽しい。1時間テキストを書いて2時間調べるとか、そんな感じ。
 さて、この自主制作映画を撮るにあたって、映像音響部のメンバーはスピーチをします。
「この映画を1ミリでも質の高い映画にするために、何十年、何百年単位で語り継がれる映画にするために、皆様の力をお貸しください!」
 …これはそのまま使ったら、映画『シン・ゴジラ』(2016年)のボランティア・スタッフへの覚え書きと同じになっちゃうんで、少し変えます。
 実際、『工場の出口』の動く人たちの映像は百年以上残ってるわけでして。

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映画『三つ数えろ』の謎

 ハワード・ホークス監督がレイモンド・チャンドラーの小説『大いなる眠り』(1939年)を映画化した『三つ数えろ』(1946年)は、何度見ても話の筋がわからない、ハンフリー・ボガートが何言ってるかさっぱりわからないんだけど、とりあえず見ておかなければいけない映画ということになっています(後者の問題は、日本人なら日本語字幕で適当にわかったつもりになれます)。
 殺人事件の犯人が誰なのか、については、監督にも作者にもわからなかったようです。
 ハワード・ホークス監督は、プロットにはあまり意味はない、という発言をしています。
 また監督はチャンドラーに電報で「ピートを殺したのは誰だ」って聞いたら「ジョーだよ」って回答をもらったらしいんだけど、「ジョーは沖にいるんだからできるはずがない」ってやり返したらしいです。
 犯人(真犯人)なんてどうでもいい、ってところがヌーベルバーグの人たちに気に入られたんだろうな。
 なお、『マルタの鷹』を映画化したのは何人もいますが、一番有名な人はジョン・ヒューストン(1941年)。ホークスが『マルタの鷹』作ってたらそれはそれで名前的に面白いんですけどね。
 ジョン・フォード監督が役者としてよく使ってたのはジョン・ウェインで、ハワード・ヒューズハワード・ホークスに金を出して作らせたのが『暗黒街の顔役』(1932年)で、ハワード・ヒューズの伝記的映画は『インビクタス』じゃなくて『アビエイター』(2004年)で、マーチン・スコセッシ監督。
 でもってもう、あの蒸気機関車が出てきた映画で、映画史上に残る失敗した大作の作品名と監督誰だっけ、って検索してもそれだけでは出てこない。なんかジョン・ミリアスじゃないよなあ、そうだ、トミノみたいな名前で、マイケル・チミノ監督、『天国の門』(1980年)だった。
 あのころの映画って、やたら長い映画多かった印象なんだよね。実際にはそんなことないんだけど。

最近更新をサボっているこのブログの1日のview数が、毎日書いて7万5千字にもなった小説のトータルのview数よりも多いのが納得いかない

 小説のview数が少ないのはまあ、そんなものかな、って思う。
 これがもう、誰にも読まれなくても小説書くの楽しいんだよね、今のところ。
 ぼくのブログも、はじめて半年ぐらい1日10viewって日々だったんで、要するにもう少しマメにブログ書かなくちゃ、ってことです。
 現在執筆中の小説の元ネタは、フィリップ・K・ディックにはふたごの妹がいた、ってことと、フィリップ・K・ディックアーシュラ・K・ル=グウィンは同じ高校に通っていた、ってことと、落語「五人廻し」です。

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シネシャモ日記っていうブログ、映画が好きな人にはおすすめ

 ぼくのブログは、はてなブログ以外は原則としてリンク張らないことにしてるんですが、普通に「シネシャモ日記」で検索するとたどり着けます。

『DVDと洋書で映画を楽しむブログ。シネシャモはシネマとシシャモの造語なり。居酒屋で仲間とシシャモを食べているときに思いついたのです。映画を鑑賞する際の豊かな心の働きに興味があります。』

とのことです(ブログ紹介の冒頭部分から)。

 2016年9月現在は「心理西部劇」というのと、「1983年×月に鑑賞した映画」というのをブログ記事で連載しています。