砂手紙のなりゆきブログ

KindleDPで本を出しました。Kindleが読めるデバイスで「砂手紙」を検索してください。過去テキストの一覧はこちら→http://d.hatena.ne.jp/sandletter/20120201/p1

短編なのか短篇なのかはっきりしろよもう(早川書房と東京創元社とその他の会社)

「たんぺん」の表記は、「短篇」と「短編」の二つがあります。
 ぼくの場合は原則として「短編」と書くことにしていますが、丸谷才一のテキストを語るときには「短篇小説にはじまって詩で終わる」のように「短篇」表記にしないとしょうがない。だって丸谷才一は「短篇」「長篇」っていう漢字の使いかたしかしていないんですから。
 で、すこし面倒ですが、各出版社の、おもに文庫を中心に「短編」「短篇」のどちらが使われているか調べましたが、軽く頭がクラクラしました。
 まず、早川書房なんですが、これは原則として「短篇」。「異色作家短篇集」も、間違えてる人多いけど、「短編集」じゃなくて「短篇集」です。
 ところが、これに「○○・編」と、編者の名前が来ると「編」表記が使われます。たとえば『変数人間』は「ディック短篇傑作選」で「大森望・編」。
 さらに、国別で分けたりするときには「○○篇」になります。これは漫画『銀魂』でも「星海坊主篇」とかあったりするんで、普通です。
 要するに、『狼の一族』は「異色作家短篇集 アメリカ篇 若島正・編」になります。
 次に東京創元社の場合ですが、こちらは一貫して「短編」です。『世界短編傑作集』がそうだし、『怪奇小説傑作集』は「英米編」ほかだし、『日本怪奇小説傑作集』は「紀田順一郎|東雅夫・編」。ここまではわかりますね。
 岩波書店の場合は、これが困っちゃうんですよね。岩波文庫は『江戸川乱歩短篇集』のように「短篇」が使われてるんですが、岩波新書では『短編小説礼讃』(阿部昭・1986)と『短篇小説講義』(筒井康隆・1990)があるんです。嘘のようだが本当だ。
 ちくま文庫では、『名短篇、ここにあり!』(北村薫宮部みゆき編)のように、「短篇」表記なんですが、1冊だけ困った本があるんです。『超短編アンソロジー』(本間祐・編)。これ、何度見なおしても「超短編」にしか見えない。こんなことがあるのか。
 ちなみに新潮文庫は「短編」表記を原則にしています。だから『ヘミングウェイ短篇集』はちくま文庫で、『ヘミングウェイ短編集』は新潮文庫。とはいっても単行本では『山本周五郎長篇小説全集』というような表記があります。
 ええと、ここらへんでだいぶややこしくなってきてるんですが、ついてきてますか?
 次に、文春文庫。これがさらにややこしくて(会社名からして「文芸春秋」なのか「文藝春秋」なのか素人にはわからない)、村上春樹小川高義の翻訳による『SUDDEN FICTION―超短編小説70』。アマゾンの内容紹介を見ると、

 ヘミングウェイからカーヴァーまで、選りすぐりのショート・ストーリーがぎっしり、七十篇。短篇小説の醍醐味が詰まった一冊です

 …短編なのか短篇なのかさっぱりわからない。公式のホームページでは、

ヘミングウェイ、テネシー・ウィリアムズからレイモンド・カーヴァーまで、選りすぐりのアメリカン・ショート・ストーリーが七十篇。短編小説の醍醐味が詰まった貴重な一冊です。

 ってなってました。アマゾンのデータが間違ってるんだろうな。それはよくあること。
 ところが、同じ文春文庫の村上春樹の本、『若い読者のための短編小説案内』(1997年)というのがある一方、『パン屋再襲撃〈新装版〉』(2011年)の内容紹介は、

 妻は断言した、「もう一度パン屋を襲うのよ」彼にかけられた呪いを解くための企みはいかに!? 村上ワールド全開の初期の傑作短篇集

 とあります。
 豚に食われて死んじまえ、と思った。
 ここまでとっちらかってる例はあまりないんですが、講談社の本でも、通常の文庫は『霧舎巧傑作短編集』のように「短編」表記で、文芸文庫のほうは『戦後短篇小説再発見』のように「短篇」表記です。金井美恵子の場合は『ピクニック、その他の短篇』ですが、村上春樹の新潮文庫は『螢・納屋を焼く・その他の短編』です。
 だいたい、「編集」というのも違っている、という説があります。「編輯」「編集」の2種類があるんですね。でも「編輯者」っていうと、原稿もらってきて雑誌に載せたり本を書かせたり、という感じじゃなくて、アンソロジストみたいなイメージになる。