砂手紙のなりゆきブログ

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本の感想というより紹介(フリッカー、あるいは映画の魔)

 セオドア・ローザック『フリッカー、あるいは映画の魔』(1998年、文藝春秋。原著は1991年)は、架空の映画監督マックス・キャッスルに関する長い物語です。
 主人公はB級映画の黄金時代に生まれて、ハリウッド映画にはないもの(要するに裸の女子のおっぱい)をヨーロッパ映画でみつけたことをきっかけに、ロサンジェルスのクラシック座という映画館に入り浸るようになり、映画のことなら何でもだいたい知っているクレアという女性と知り合いになって(というか、知り合い以上の親密な仲になって)、マックス・キャッスルの名前とその映画を断片的に知り、とある金持ちが放出した映画のフィルム・コレクション(ビデオもユーチューブもない時代、昔の映画のきれいなフィルムは投資の対象になりました)から『天井桟敷の人々』(1945年)を買い取るつもりがうっかりしてマックス・キャッスルのドイツ時代の幻の映画『われら万人のユダ』(1925年)の、一度も映画館にかけられたことのないフィルムを発見します。
 マックス・キャッスルは、第二次大戦前、世界一のドイツの映画会社・ウーファで修行をして、1927年にはハリウッドで9時間にわたる超大作『殉教者』を作りましたが、そんなものはまともに公開されるわけがありません。
 その後マックス・キャッスルは『切り裂き魔あらわる』(1931年)、『ゾンビの復讐』(1937年)といったクズとしか言いようがない映画をさんざん作り、アメリカではオーソン・ウェルズの第一作になるはずだった『闇の奥』(1939年)を共同監督したあげく中断させられ、『市民ケーン』(1939年)ではオーソン・ウェルズにテクニックを奪われ、ジョン・ヒューストン『マルタの鷹』(1941年)ではとんでもなさすぎるアイデアを提供したため無視され、映画史的には1960年代にはすっかり忘れられた監督に成り果てました。
 とりあえずB級映画の、保存状態が最悪なものを寄せ集め、『われら万人のユダ』とあわせて、マックス・キャッスル監督特集を上映したクラシック座にやってきたのは、とある老人。彼は「お前らはマックスの真髄をさっぱりわかってない」とののしり、自分はマックスの撮影監督だったと語り、秘蔵の保存状態が最高なマックスの映画を山ほど主人公たちに見せます。
 その作品群は確かに話の内容はB級ですが、映像になにかただならぬ、口に出せない邪悪と崇高なものを感じた主人公は、彼の作品をテーマに修士論文を書くことにします。
 そして、マックス・キャッスルとその作品を研究するためにいろいろな人と会っていると、カソリックよりも古いカタリ派の二元理論、つまり光と闇、そして映画の起源としてのパラパラ漫画(スリッカー)というものにたどり着き、弾圧の末消滅したはずの信者たちは孤児たちを利用して自分たちの教義を広めようとしており、その代表者がマックス・キャッスルだったんですが、どうも創造力がありすぎるのと、当時のハリウッド映画的な映画製作は布教には向かないということで資金援助が断たれ、大西洋上でマックスは死んだ(ドイツ軍の潜水艦に乗っている船が沈められた)ということになります。
 それからさらに時代は1960年代後半から1970年代はじめにかけての話。もうハリウッド映画の時代ではなくて、実験映画と称するわけのわからないものとテレビの時代に、邪教の教会はサイモン・ダンクルという天才映画監督を世に出そうとし、もうそのころにはだいぶ著名になった主人公は、マックス・キャッスルについていろいろもっと知りたいために、その陰謀にダンクルに対する好意的な映画批評で協力することにします。
 だいたいここまでで話の半分ぐらい。