映画編集者のウォルター・マーチがクルツィオ・マラパルテに出会うまでの屈折した道
映画関係の職人仕事でやってみたいのは、照明と編集です。
照明は映画に光と影と色を与えて、文脈的に矛盾がないようにするのが仕事です。
編集は現場が一生懸命撮った50~100時間のフィルムと音を、ひとりで暗いところにこもって、2~3時間にするのが仕事です。
ウォルター・マーチは、フランシス・フォード・コッポラと組んで『ゴッドファーザー』(1972年)を編集したり、まあいろいろな仕事をしている神職人です。
『映画もまた編集である』(マイケル・オンダーチェ、みすず書房、2011年)の中で、彼は優れたシーンを切り捨てることを「ヨブの悲劇の瞬間」と呼んでいるそうです。
ヨブは善人で働きもので、神の意向にしたがって何でもしている。なのに神はヨブにばかり試練を与える。神様どうして私なの? そうだよねぇ、神様っていつもそうだよね、私のどこがいけなかったの? 隣の悪人には罰とか与えないのに、なぜ、なぜ、なぜ?
みたいな感じ(最後のほうはちょっとヤンデレみたいに創作しました)。
この本のインタビューしている作家は、彼のことを「映画界にあって真の変人である」と言っています。
で、ウォルター・マーチの映画以外の業績としては、イタリア人ジャーナリスト&作家で建築家としてのほうが今は著名なクルツィオ・マラパルテの翻訳です(マラパルテ邸というのはウィキペディアに載っています)。
彼がこの人の著作を知ることができたのは、映画『存在の耐えられない軽さ』(1987年)の、プラハ軍事介入シーンの撮影でリヨンにいたとき(ちなみに彼自身はそのシーンを自己ベストとして挙げています)、読む本がなくなって現地の書店で宇宙論の本を買ったのがきっかけでした。
その本の中で著者はビッグバン直後の宇宙の状態について「この瞬間について私なりに描写できないわけではないけれど、それよりもマラパルテの書いたラドガ湖の凍結した馬たちのストーリーを読んだほうがずっとわかりやすいだろう」と書いてあったそうです。
ラドガ湖の凍結した馬。すごい面白そうでしょ。
で、そのことについて書いてあるのは『壊れたヨーロッパ』という本で、1990年に翻訳が晶文社から出ています。
もう少し知りたい人は、「AztecCaba」というブログの2005年1月31日、「クルツィオ・マラパルテ」という記事を見るといいのです。