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砂手紙のなりゆきブログ

KindleDPで本を出しました。Kindleが読めるデバイスで「砂手紙」を検索してください。過去テキストの一覧はこちら→http://d.hatena.ne.jp/sandletter/20120201/p1

市川崑の映画に関する本人の一言集・7(『ビルマの竪琴(1985年)』から『四十七人の刺客』まで)

 引き続き『完本・市川崑の映画たち』(市川崑+森遊机洋泉社、2015年)の中から、自作の映画に関する市川崑自身の話を引用してみます。
 引用は大変大ざっぱなものなので、この本そのものを読んで、さらに市川崑監督の映画を、見れるものがあったら見ることをおすすめします。

・『ビルマの竪琴』(1985年)
 カラーで撮りたかったもので30年ぶりにリメイクした。露天で寝ている仏像はビルマにはなく、政変とかもあったので結局タイのロケになった。フジテレビのスタッフの情熱のたまものです。
・『鹿鳴館』(1986年)
 丸源ビルが作ったマルゲンフィルムという映画会社の川本(源司郎)氏と会って、三島由紀夫の原作をやることになった。ワダ・エミさんが衣装デザインをして、制作はまた『細雪』の三松の斉藤社長にずいぶん助けられた。
・『映画女優』(1987年)
 新藤兼人さんが書かれた『小説 田中絹代』に、僕より少し上の世代の物語をオリジナルで組み合わせてシナリオを作った。溝口健二監督は日本の監督の中で五指に入るぐらい尊敬しています。人間を見る目の深さには脱帽します。色調は白黒映画時代の名作を点綴させたかったので押さえた。本当なら映画の中に若い自分も出てくるはずなんだけど、そこは目をつぶりました。
・『竹取物語』(1987年)
 東宝田中友幸プロデューサーとフジテレビで製作費二十億円かけた。シナリオはベテランの菊島隆三さんと、SFにくわしい石上三登志君の折衷にしました。僕にはSFはわからないんですよねえ。友幸さんのスペクタクル性を求める方向とはうまくマッチしなかったけど、老夫婦を原作よりだいぶ若くして自分なりのものにはした。
・『つる--鶴』(1988年)
 (吉永)小百合ちゃんの百本目の記念作品なんだけど、木下順二さんには大映時代にこれだけは原作を断ると言われた作品。雪のセット・ロケは新潟が六十年ぶりの雪不足で苦労しました。冒頭の東宝マークは邪魔だからラストにくっつけた。
・『天河伝説殺人事件』(1991年)
 角川春樹君に、原作は読まなくてもいいから引き受けてくれと言われて作った。映画化にあたっては、(天河神社のシンボルの)五十鈴のイメージを強調することと、お能を本格的に描くことにポイントを絞った。
・『四十七人の刺客』(1994年)
 忠臣蔵の話は大映でも松竹でも実現しなかった。原作の池宮彰一郎さんの話は、徹底した実証主義で、今までにないシャープな忠臣蔵になる、と思った。(大石内蔵助役の)高倉健さんとは最高の出会いでした。

 この本の旧版として出た分(1994年・ワイズ出版)としてはこのあとにテレビとかCMとかの関連の話(章)がありますが、映画についてははここで終わりです。
 2015年版として、「新章 その後の市川崑の映画たち」というのがありますが、これは本になる際には市川崑氏本人による、自分の発言の校正が加わっていないものです。
 次は、『四十七人の刺客』の撮影終了後の話からになります。

関連記事:

・市川崑の映画に関する本人の一言集・1(『花ひらく 眞知子より』から『足にさわった女』まで)

・市川崑の映画に関する本人の一言集・2(『あの手この手』から『ビルマの竪琴』まで)

・市川崑の映画に関する本人の一言集・3(『処刑の部屋』から『ぼんち』まで)

・市川崑の映画に関する本人の一言集・4(『おとうと』から『東京オリンピック』まで)

・市川崑の映画に関する本人の一言集・5(『トッポ・ジージョのボタン戦争』から『犬神家の一族』まで)

・市川崑の映画に関する本人の一言集・6(『悪魔の手毬唄』から『おはん』まで)